小さいころから生きづらさや、ちょっと人と違うな、というところはあったんですか?
昔からの私の悩みは2つあって、1つは「他人の表情や態度に過敏」ということ、2つ目は自分の仕事の成果を他者の評価で決めてしまうことでした。
1つ目は、職場で不機嫌な人がいると「自分が何かしたかしら」と思ってしまう。尊敬できる先輩でも、利用者さんがいないところで愚痴や陰口を言ってたりしてたら絶対許せない。
2つ目は、他者といっても大人に限ったことで、(児童福祉の仕事で)子どもたちがすごく楽しそうにしていても大人に評価を求めてしまう。どこか空回りしている気がしていました。
他人や空気に敏感なところは保育園の年長くらいからあったかなと思います。親の顔色をうかがって、でもわがままも言うんですが、家の外ではいい子にしていた。他人の気持ちを悟りすぎるともいえるし、勝手に想像しすぎるところがあった。選ぶ時の空気に耐えかねて学級委員に手を挙げるのだけど、役割もろくに理解していないから「無責任だ」と言われたりもしました。
大学に進んで教職の免許も取られました。なかなかできることではないと思いますが、ここでも苦労はあったのですか?
大学に入ってから1,2年生の間は、研究が大好きで教授のところにも通っていました。でも、熱しやすく冷めやすい性格のせいで続かず、3年生からはオンラインゲームにハマってしまった。自分とは全く背景が違う人とゲームをやるのが楽しくて楽しくて。一気に授業もサボりがちになりました。
今考えると、時間割があり、決まったテレビ番組の時間に合わせて行動していた高校生までに比べて、大学では自由度が増してうまくいかなくなったんだと思います。私にはフレームが必要だったんですね。
大学院に進んだのは、ゲームをやりたい、でもプータローは嫌、というのが理由。大学院の中間発表会で何も発表できず、不登校になり、そのまま中退しました。人生を舐めていたツケが回ってきたんだなと思いました。
そのあと、なんとか1回だけ行った就職説明会で、積極的に声を掛けてくれたのが介護福祉の方で。介護の仕事でやりがいを取り戻して、自分でも役に立てるんだ、と思えた。でもやっぱり過敏なところもあるから、仕事の愚痴を言う人に対して「なんでこんなこと言うの?」って許せなくて、「この人とはやっていきたくないな」って。今思えば、大学まで、情に厚い人に囲まれていたんだと思います。就職して、ドライな人やダークな人?にも出会って。抑うつ状態になって休職、退職しました。
そのあと、障害のある子ども向けの施設「放課後デイサービス」などで働いたあと、リンクサポートに来られました。リンクでの就活はどういうものでしたか?
うつっぽくなって辞めることが続いていたので、それを見ていたパートナーが「ひとりで就活をするとまたそうなるよ」って心配してくれて、支援機関を紹介してくれました。最初は、子若(名古屋市子ども若者総合相談センター)の方に電話して。その時は、「まだよく考えると就職は怖いな、(鬱も)治療中だし生活もガタガタだし…」と思って、子若の方と面談を重ねてから、心を回復させていったという感じです。
リンクのスタッフの方と一緒にやったことは5つあったのかなと思います。①仕事に活かせる長所の整理、②興味がある仕事の特徴を考える、この二つはホワイトボードとかベン図とか使ってやって、すごく役に立ちました。
③が求人検索、④が会社訪問、⑤電話を含めた定期面談。一番助かったな、と思ったのは会社訪問ですね。そのために企業との間に入ってやり取りしてくれること。自分ひとりだと、「この会社いいな」と思っても、「でもここがあれだし…」って粗さがしをして、「やっぱりやめとこう」となる。「とりあえず電話で聞いてみますね」って言ってくれたので、行動に移すきっかけをたくさん作ってくれた。児童福祉業界は(ハローワークではなく)民間媒体の求人も多いので、そこにアプローチしてくれるのも有難かったです。
会社訪問は4社行ったのですね。でもその中で就職したのではなくて、その後にご自身で探してきた求人に応募されました。
スタッフの方との会社訪問では、正直最初は、「いい会社でしたね、応募したいです!」と言った方がよいのかな、そういう風に気を張った方がいいのかな、なんて思っていました。3社目くらいから、「ここが残念でしたね」ってスタッフさんと話すことができていった。一緒に訪問して、スタッフの方に自分の事情や言いづらいことを言ってもらったり、その方から見た会社の印象を聞いたりできるのはすごくよかったこと。
こういう経験があったから、自分でもアプローチできました。パートからやりたい、という時は内心ビビりながらでしたけどね(笑)。最後は、「パートから受け入れてくれない会社なんてこちらから願い下げっ!」と思ってましたから。
働いているのは障害のある未就学児への個別療育施設で、最初は一日4時間、週3日から始めました。3か月経ったころからは週4日に増やし、だいぶ慣れてきました。
障害がある子ども向けのプリント教材づくりを任されていると聞きました。就活中の「つなぎ」としてやっていた個別塾の講師の仕事でも、プリントづくりを工夫されていましたね。
教材づくりは、今の職場で才能を見出してもらったなと思っています。発達障害や学習障害がある子が、文字や社会生活を学ぶ教材を、一人一人の発達段階や興味に合わせて作る。どの子がどう動くだろうな、という展開を読む力は、たぶんオンラインゲームで身についたんだと思うんです。顔も名前も知らない人たちとパーティーを組んで、役割分担をして勝ち進むために予想が必要でした。
デザインやABAなどの療育のスキルも学んで、いつかは家で教材づくりを専門とした個人事業主としてやっていきたいな、と思うようになりました。まだざくっとしているので、まだまだ今の職場で頑張りながら、模索したいなと思っています。
同世代の人や、働くことに悩む人に伝えたいことはありますか。
苦手やハンデを、頑張って克服しようとする人が多いと思います。でも私の考えですけど、働くうえでそれ以上に大事なのは、自分のどこを活かして仕事していこうか、よくよく考えておく、自分のことを知っておくことじゃないかなと思います。
どうしても弱みに目が行ってしまうけど、強みを見てほしい。それが、陰ながら私からのお願いです。